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広島ヒロシマひろしま

広島ヒロシマひろしま

 

    伊藤智永.広島ヒロシマひろしま.毎日新聞.2023520日、2面、土記do-ki

   河北新報.「非核の議論 行動に移して」、カナダ在住被爆者・サーロ節子さんサミット前 広島の母校で講演.2023年5月16日、25面.

   岡田将平(聞き手).被爆者サーロ節子さん−広島長崎再現 人間としてできますか.朝日新聞、2023519日、27面、被爆国から2023−広島・長崎は問う.

 

ベーテルブログ2023/05/22

 

 騒がしい週末だった。幾重にもよく仕組まれた軍事同盟張りの会議が広島で開かれていた。寂聴は言う、「いい戦争はない、戦争は全て人殺し」。それは当方が実際には知らないものだが、生家の眼前にはアメリカ進駐軍の住宅地となっていて、鉄条網で仕切られていて、米軍兵士が銃を構えて見張っていて、我らワラスコたちは何故か決して近寄らない。朝鮮戦争があり、ヴィエトナム、イラク戦争など枚挙に暇がない「善い国」アメリカによる戦争があった。おっと、その前に私が知らない「悪い国」ニホンのヒロシマには原爆が投下されていたのだ。

当方は3.112011フクシマという表現を使いつづけることとなったが、このタイトルは3.112011フクシマのゲンパツ逃避行で何名もの患者さんを失った無念による。フクシマは通称福島を意味しない事実を表現している。どんなことも忘れることにしているこの国に、既にフクシマはない。復興という概念があるらしく、宮城もがんばろう元気が叫ばれ、忘れていっている。生きて行くには逆に、無念は決して忘れないことにするのがとても大事だ。無念を忘れると、孫子の代に無念がまた必ず襲い返してくる。

520日の毎日新聞に「ヒロシマ」の活字が目に入ってきて驚いた。原爆を語るに「広島」は使わずヒロシマとしていたからで、ヒロシマというパターン認識は目が拾う。福島ではなく「フクシマ」がコンセプトを伝えやすいから、広島、長崎は勢いヒロシマ、ナガサキとなっている。さあ、この毎日の記事にお目通しあれ。このカタカナ表記は、反核運動を誘発したアメリカ・ビキニ環礁(マーシャル群島、静岡のマグロ延縄漁船第五福竜丸)での水爆実験、何とその名もブラボー、によるマグロ漁船員の被爆、「ヒバクシャ」、とともに、ヒロシマとなっていったという、歴史の流れの一つを説明している。

なお、「はだしのゲン」とともに「第五福竜丸」なるものは20233月から、広島公認から消された。広島にはもっともっと将来のこどもや孫たちに有益なものがたくさんあるとのこと。未来の町には過去の何の役にも立たない歴史事実を伝えていくほどの余裕はない、と。クールには「はだしのゲン」も「第五福竜丸」も例えば仙台の教科書にはもともと載っていない、広島だけが載せ続けていたのかもと。そうであれ、広島市が免罪されることにはならない。まして、政治家判断としては最悪のタイミングだ。その宰相は広島だ。そして、あげく、ヒロシマで亜軍事同盟張りだ。

 騒がしい軍事同盟と関連するしないは別として、待望のサーロ節子さんが広島に再登場で、地元のSNS上と同期して河北新報が516日に彼女の動静を伝えた。ベーテルは、3.112011てんかん市民の誓い2017年、ICAN、核兵器廃絶国際キャンペーン、ノーベル平和賞受賞以来、これを祝って3.112011の横断幕上にICANを標語の一つとした。真意は戦争にも原爆にも、そしてゲンパツにも当然、寂聴以上の意味は込めてはいない。原点には余分なものを詰め込めんではならない。破れば、待ってましたというばかりに、いわゆる「偽善者」たちが総掛かりで仕組みに仕組んであつらえてきた、決して変わることはない風土としての世俗なる土俵に閉じ込められており、愛想笑い以外の身動きしなくなる。事情は全く違っているのに世人には気づくことが難しく、わざわざごまかされてしまっているのではないがそうなっている。さらば、異星に居て生きているようなものだ。周りはすっかりその気になっている。異星の過ちはすべて、「偽善者」たちが周到に仕組み続けてきた壮大な罠、つまり虚構という現実の移り変わりで、ほとんど意味はない。これを人は事実と呼ぶことにした習慣をもともと身につけている。

時の為政者がたまたま縁戚というのがサーロ節子さんにとって誠に気の毒だが、サーロ節子さんはサーロ節子さんそのまんまでよい。2017年、ノーベル平和賞のサーロ節子さんの一派は、時の総理大臣に面会を期待したそうだが、内閣からは一通の連絡もなくホテルで寂しく過ごしたというような記事を思い出す。

だから、戦争の直接の原因となった世界の怖ろしい分断化を象徴する軍事同盟紛いの亜会合の周りに、サーロ節子さんが何故に登場してしまったのかが不思議でならない。舞台が違ったようだ、節子さん。

当方の望みは、孫子が善い戦争にも参戦せず、また巻き込まれないことだ。核兵器はもちろん、ゲンパツもご免だ。今はゲンパツも核兵器も活気に溢れている。街を行き交うたまたまのインタービュードもそつなく無難に応えて次代の仮面を装う。たとえては、フクシマ漁民のかんばせや眼差しはそぶりもない。

                             (Drソガ)