2023/04/18
原発のまち50年のかお−
女川から未来を考える
ベーテルブログ:今週のこの一冊
① (−1、−2) 阿部美紀子(編).原発のまち50年のかおー女川から未来を考える.一葉社.2022年11月15日、136頁、東京、2200円.
② 河北新報.反原発運動-写真でたどる、女川町議阿部さん刊行−「闘争」300枚超で回想.2022年11月29日.
裏表紙に「あの大震災を生き残った奇跡の写真」とある。編者は阿部美紀子さん。宗悦さんのお嬢さま。医学生であった頃にあの阿部宗悦さん宅にお邪魔させていたいただいたことがあり、娘御さんの姿があったのを覚えている。お父さま宗悦さんには岸壁までご案内いただいた。
同級生に車がある富裕学生がいて、女川の津々浦々を訪れ歩いた。何とか用立てだのであろう、貧困学生の当方はお金が全くないのに△△△まで、タクシーに乗った。運ちゃんが問う、どこさ行くのっしゃ、と。運ちゃんは見透かすように問うたわけではないが、こっちは質問に応えねばならぬ。咄嗟に応えねばならず、有名な浜だから見たくてとも交わせず、○○○さんと返してしまった。運ちゃん曰く、あの浦はどの家も○○○さんだべや、誰っしゃ、と問う。あろうことか、はあり得るのだ。サトウやカトウ、タナカではない。これにはたまげてしまった。そのあとどうなったかはもう覚えていない。フランクであることが最も大事なエチケットであることを知らない日本人学生2人は目的があって、見知らぬ△△△に向かっていた。
一方、□□では漁船に案内されて、海苔だったか、帆立だったか、海鞘だったかももはや記憶にないが、そのお仕事に便乗した。小さな小舟に揺られ揺られているうちに、胃の底から突き上げてくる吐き気がいや増してきて大変なことになった。全部吐いた。漁師の方は浜に引き返してくれて大変な迷惑をかけることとなった。一日仕事を無駄にさせてしまった。そんな冷や汗だらけの女川だ。
3.112011、宗悦さんもお嬢さまも無事だった。だが、ご自宅の資料はすべて失ったとある。まして、宗悦さんは2012年に召されているので、本当は無事ではなかったかも。何も知らずにいて、ただただ申し訳ない。
3.112011からはオナガワと書いているので、お嬢さまからは遠くなってしまった。○○○さんと思わず応えてしまった学生時代の咄嗟の躊躇いのせいでの失態はいつまでも辛い冷や汗のままだ。 (Drソガ)