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2023/04/17 強制不妊、社説すら呆れる国上告

2023/04/17

強制不妊、社説すら呆れる国上告

 

   朝日新聞.強制不妊訴訟−政治で早期の救済を. 2023年4月14日、12面、社説.

   河北新報. 除斥期間の適用制限−最高裁の判断は必要なのか.2023年4月16日、5面。

 

ベーテルブログ2023/04/17

 

 

 臨床医のお仕事は臨床であって、当方の臨床以外の対象や領域についての文章は人にお読みいただくようなものにはついにならない。ながら障害者問題、核兵器、ゲンパツ、人生哲学、花などの限られたテーマは死活に繋がる生活なので、私見のありようを言葉で探し続ける。私見と見做されるほどのものになれば、あったほうがないよりはよい。

 さて、優生保護法のニュースを追いかけて、わずかに与えられた自らの時を惜しまないように刻むためにしたためる。前回では歯に衣を着せず国なるものがナニモノなのかにも敢えて言い及んだ。今回、朝日が強制不妊訴訟の現地平を総括した。裁判の一つ一つは何処までも事件に過ぎないが、小括を重ねれば中括となり、最後は総括となる。全国朝日が政治の出番かなと、社説でもそろそろと言い出しはじめた。そして、社説ならば、地方紙河北も二日遅れだが社説に載せた。

なかで、まず当方の目に入ったのは朝日の一文だ。「同法(議員立法による一時金支給法)の前文には、『我々は』『反省し』との文言はあるが、だれのどの責任かはあいまいにされた」と。当方もおなじ事を指摘した。また、河北は「強制不妊は、いわば国家ぐるみの人権侵害という極めてまれな事案であり」と解説している。当方は「極めてまれ」な事態でなく、優生思想は日常茶飯事そのものと理解しているので、強制不妊訴訟の現在が目下の「時の壁」なる用語で説明されていること自体を嫌っている。

 さて、強制不妊手術裁判にも、そろそろ政治の出番がきたらしいことはお伝えした。そして、遂にそんな噂が社説にもしっかりと載るようになったのだ。

そうなるかは別問題として、政治の出番と言ったって、いろいろあるでしょう。政治って担当大臣(長官?)の登場となるので、前回の国敗訴のコメントがこども家庭庁からとなり、厚生大臣ではないことになる。ちょって待てよ。ちょっと前に過ぎないが、毎日のようにマスコミを喧伝した国策、新型コロナ国家対策って、医者から見ると、元来は結果論への力強い対策で対応する裏方の経済産業省大臣に徹すればいいものを、何にも素人でウイルス論議まで強いられながらの如出張り続けは実に奇異で、頑張るお姿も誠に気の毒だったのを思い出す。表看板の厚生省大臣のほうが原因論から人心をなだめられたはずなのに。

いやいや、政治決着というのは、最後は首相よ。はやばやと総理大臣が出しゃばってくれさえすればたら、それ以上はないからなとなる。遅れれば、強制不妊に今の総理大臣この方に何の関係があるんだいとなる。強制不妊の決着とは儀式なのかいが正直な実感となろう。

原告には既にお亡くなりになった方もおられる。行政を司さどる者、国の行政官は何処までもいつまでも、最高裁に上告する責務があると、こども家庭庁長官がそう言っている。政治決着を甘く見てはならない。形だけであっても原告勝訴は快挙だが、真の勝訴となるのは何だろう。

朝日ははじめに言う。「責任逃れで裁判を引き延ばすのはもうやめて、被害者への謝罪と真の救済を急ぐときだ」と。行政が引き延ばしているのだ。ところで行政が引き延ばそうとも、裁判の決着がつこうが、行政執行の事務手続き担当責任者や実際の執行者は「誰も」、そして重要なのは「何も」咎められない。それでは無意味だ。

謝罪は行政長官が行う。行政長官は定めに拠る謝罪さえすればよい。一方、時の長官にも今の長官にも役職としては何の責め咎も発生しない。これは大きな矛盾だ。

興味深いのは河北がこう記したことだ。「確かに、国が敗訴した計七つの判決は除斥期間の適用を制限する起点や期間にばらつきがある。だが、この点について最高裁の判断を仰ぐまでの必要があるかどうかは疑問だ」と。最高裁が除斥期間について民法に事細かな運用定義を定めるよう国に求めるとなれば、非常な楽しみとなる。河北は意味がないと言いたげだし、最高裁はもっと偉いと措定するか、強制不妊は最高裁レヴェルにはならない低レヴェルの法律だと言っている。まして、敷衍すれば、最高裁が下す相手は国の誰であって、次に国のどなたがどう「仰いで」、どう「謝罪」することになるのか、となる。もはや妄想まで湧せるような実に不思議な表現と映る。

そうはならない、のではないか。国はかなり執拗だ。

いずれにしても、悲しい事実だけが残る。

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