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2023/03/18 強制不妊、国また敗訴(2023年3月16日一札幌高裁判決、2023年3月17日付け毎日新聞)の翌日 ~3月 18 日〜厚生労働省からのお知らせです〜

2023/03/18

強制不妊、国また敗訴(2023316日一札幌高裁判決、2023317日付け毎日新聞)の翌日

~318 日〜厚生労働省からのお知らせです〜

 

毎日新聞2023318日、第17

本日の毎日新聞にたまたま見たことがありそうな、国家機関厚生労働省の「お知らせ」が載っていて、唖然とした。うち続く優生保護法裁判にあって、昨日317日、判決としては 13例目となる316日の札幌高裁の判決が知らされたばかりだ。その翌日にだ、全国紙の毎日新聞の第 17面に旧優生保護法では救済に一時金を支払います、とあったからだ。

「お知らせ」とは何だろう。うっかり忘れへの親切なお誘いなのだろう

とも思わないわけではないが、「請求期限」とあり、穏やかな表現ではない。いや、期限がありますよとご親切に警告していただけの「お知らせ」としてもタイミングが悪すぎるので、斜目にはそれ以上を感じてしまった。厚労省に関連する社会保険庁の、これでもかというほどに送られてきた郵便類に戸惑う以上にはてさて困ってしまった方も少なかろう。役人のお手続き通りでなければならないからだ。

事実、優生保護法の強制不妊にかかる「救済」一時金を受領した方々が少数おられるが、その申請(請求)件数はごく少数に留まり、2022年度の実数からも伸びる可能性は少ないと報道されている。理由は簡単で、強制不妊術の実行実数は相当に把握されてこそいるが、手術記録等の臨床実態の生のカルテが残っていないことになっているからだ。しかも、国刑

たる国刑不妊術を受けた方々に子どもが多数含まれること(親しか知らない)と、彼ら自身が既にお亡くなりになっていること、改めての救済を求めるには敷居(例のご審査のお手続きが) が高すぎて、夜害者の殆どが物言えない情況やお立場にあることから、有り難くもかしこき救済一時金に余りに縁遠いことなどが関与している。

その記憶を打ち消されがちながらも、当事者が雑を越して記憶をたぐり寄せて県庁に辿り着いたところで、お名前もなかろうし、運良く、実はとんでもない不運となるものがあったりして、証拠になることはない記録に近いものがあったりして渡されることもあろう。その書類が、実はほとんど黒塗りなのだ。記憶を縫い合わせようが、どうにかなる代物ではないような、資料の価値をしっかり破壊することに成功しているものなのだ。とすると、一つだけが残される。吟味できないが手掛かりがある。なぜ「その書類」が残っているか、だ。その当時の国であっても、残している。この頃の政府は何も残さず、全て捨てさる準備に忙しい。「黒塗り」もなくなる行政効率化かな。

国や行政とはそんな黒塗りだ。端的に問おう。誰が黒塗りするんですか、と。資料を黒塗りする行政の実行者とは一体どなたなのでしょう。この場合、本省の指揮官でしょうね。県庁行政官は忠実に黒塗りマニュアルに従うだけの忠実な下手人しょうね。一方、残存する資料とて、その内容もバラバラで、ただただ忠臣から中村主水までいて、記載すべき事実は残っていようと、いわゆる決裁判が事態を吟味した形跡なのかすら分からない。

優生保護法は「子どもを授かる」ことに国が正式に真底関係した法となった。

この優生保護法への最初の裁判闘争が、2018131日に仙台で始まった。この裁判が契機となって、今の国なるものは平成31424日に「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」なるものを公布・発行した。ながら、国のこの対応はナゾを生む。国会一立法府 (?) のどなたがそんな優秀なイニシアティヴを即座に執り切れる方がいたのだろう。裁判闘争からわずか一年余りで迅速に立法府対応に持ち込める行政対応ができる人物がいる。国には人材豊富だから困らないらしい。大したものだと言うしかない。国は本気になったのだ。

ながら、この一時金対応をいいことに、その後優生保護法の裁判では国側は除斥期間(有り体に民法の時効)を主な理由とする論法に変わった。

裁判では国は自身の責任を認めず、民法体裁とした。一方で、立法では「救済一時金』で「ごめんなさい」と逃れようとしている。これがこの「お知らせ」だ。通常、幕引きには「謝罪」の儀式が必要で、例えばハンセン病では菅直人が幕を開けたとされる。この儀式にすら、国刑強制不妊はまだ辿り着いていない。司法は六法を盾にし、立法は国の罪深さを救済一時金で予を収めさせようとかかっている。

一時金救済法を何のために急いだだろう。手術の記録が残っている場合のみ審査に合格し「一時金」で「救済さ」れる。繰り返すが「子ができなくなる」手術ではない。国が「子をできなくようにさせた」手術であって、障害痕も後には形跡を辿れなくなる肉体への直接侵害であった。

国民に課した、既に存在しない優生保護法は、より肉体を象徴して、妊娠可能な男体を排除して「母体保護法」なる立派な名前に出世した。「子

をもうけてはならない」優生保護法なる強制不妊への「一時金」給付(お情け)は、特定形容詞を持てなかった用語、優生思想に、「一時金」なる手切れ金を渡そうとし、優生思想なる、極めて特殊だった政治用語」から逃れた。とりあえず議員全員で懺悔、の国会方便ではなかったのか。

その後の行政手続きは、知る由もないが行政好みの「粛々」と進む「優生保護法一時金認定審査会」なるものらしい。請求事案の審査とその他の審議が2022年は9回開かれている。知りたいのは「請求」審査の不承認はどれぐらいの数で、集積された不承認事案はその後どのような再吟味を経ているのだろうか。その内容が明らかにされないのであれば、上級の審議会や研究会などが用意されているのは当然な合理性だ。この存在は衆目に知らされていない。「一時金」の現状について、実際にけんげんがありそうなのが担当課長で、可能ならば更に上級の、あるいは最高の、またはつまり担当大臣に直結するか、優生保護法審議会なり検討引火わ荷の名に辿り着きたいですね。しろうとには全難の業ならば、せめて影響力のある研究者や学会からの教えを請いたいものだ。

さて参考までに、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」の前文を記す。

<...我々はそれぞれの立場において、真撃に反省し、心から深くおわびする。

今後、これらの方々の名誉と尊厳が重んぜられるとともに、このような事態を二度と繰り返すことないよう、全ての国民が疾病や障害の有無によって分け隔てられることなく相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向けて、努力を尽くす決蔵を新たにするものである。

ここに、国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、この法律を制定する>

はあ、ところで、文面のこの「我々」とはどなた、どなた達なのだろう。「我々」には縁もゆかりもなければ、同志でもない方々らしい。

話を聞いてくれて、ありがとうと言ってくれたあの方々ですか。むしろお隣さんなら、次に、更に意味不明な「それぞれの立場において」で、そんなものなのだがありがたいとも思う。強制不妊を実行する側に「それぞれ」はないし、強制された「立場」で直接の傷害をうけた者からは「それぞれ」はありえない。必ず実行犯がいた。ましてや、「我々」は「全ての国民が疾病や傷害の有無によって分け隔てられることなく相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向けて、努力を尽くす決意を新たにする」などと仰ってもおられる。

美辞麗句というものには通常隙がない。原告達が絞り出すように述べたであろう直接の当事者の無念と比べれば、かかる文句には言葉としての意味は失せている。だから、言葉が共通ではない。裁判作業に実際にいそしむ当方ではないから、この法の前文は言葉としては、磯廉恥となる。

(Drソガ)