ベーテルブログ
この一言ありがとう2/2022(10)
藤井克徳きょうされん専務理事が祈る詩
ーウクライナの障害のある同胞(はらから)へー
とにかく生き延びてほしい
① 社会福祉法人きょうされんホームページ. Kyosaren.jp
② 認定NPO法人日本障害者協議会(JD)ホームページ.Jdnet.gr.jp
③ 朝日新聞DIGITAL.2022年3月13日,18時00分.森本美紀:ウクライナの障害者へ「生き延びて」 日本の障害者が祈り込めた詩.
④ 読売新聞オンライン.2022年3月18日.ウクライナの障害者へ「とにかく生き延びて」祈りの詩...日本の協議会代表が紡ぐ。
⑤ 藤原帰一:この戦争の出口はー[負け組]も包む国際秩序を.朝日新聞第22面、時事小言.2022年3月17日.
次回発刊予定の「てんかんケア仙台2021」の編集作業の事務連絡から、日本障害者協会JDの理事長ときょうされん専務理事の藤井克徳さんが2月28日以降、ウクライナ障害者国民会議NAPDU宛にメッセジを送ったことを知った。また、このメッセジはいわゆる詩であった。藤井はウクライナの障害がある人々にとにかくに「生き延びて欲しい」思いを送った。藤井はこのメッセジを当方にも読んで伝えて欲しいと促しているので、このブログでは二度目となる詩人「ふじいかつのり」を是非にでも紹介したい。一度目は、読みこなすのには同時代を生きた人でなければ理解できないであろう史実が絡み合った半世紀の経緯を、それでも紡ぐことができるように綾解いた、奥深い、藤井克徳著、当ブログ「今週のこの一冊」でも取り上げた、JDブックレット5の、国際障害者年から40年「障害のある人の分岐点」ー障害者権利条約に恥をかかせないで、での「恥をかかせないで」という、「ふじいかつのり」の詩だ。この詩で、藤井はこう仰る。意味深長だ、と述べたのは、2014年1月に障害者権利国際条約を批准したはずの国、日本の実態と藤井克徳が人格的に日本の障害者像を象徴するものとの相克だ。
わたしは負けない、
たくさんの、「がんばって!」のつぶやきがきこえるから、
わたし自身が自信を失いたくないから、
日本のみなさん、わたしに恥をかかせないで。
さて、今回はウクライナだ。ロシアのウクライナ侵攻から本日26日目。戦闘現場の戦争論はさておき、おそらく、⑤藤原喜一教授が述べることで、素人の多くには充分すぎるほど納得できる解釈だし説明だろう。ありがたい。さしあたり、これを越える知識は軍事戦闘論以外には必要ない。私たちに肝腎なのは、障害がある人々がどうなっているかだ。藤井はおそらく動画も全く見えないのだが、仰るように、私にも車椅子の犠牲者も、そして卑近な知的障害や自閉症なる方々とおぼしき子どもたちの姿もみあたらない。国営や有名放送局などのメディアには登場しないので、藤井同様見えない。藤井はウクライナの障害者機関と連絡が取れたと言う。実際には当事者間の親密な通信は既に始まっていて膨大な量になるのであろう。私ども一般人には知られざるSNSの世界ではそれぞれには乏しいながらの悲しい交流の世界が山となっているのであろう、と期待するし、そうあって欲しいと希う。
詩人「ふじいかつのり」は、障害がある人々には別格だ。こう、仰る。直接の戦禍では、あるいは間接戦禍にあっても、障害児者は、
とにかく生き延びて欲しい
と。この言葉の意は自ずと明快だ。分かりやすく、具体的に、こうも加えているので、読む者には余りにも親切だ。逆には、こう言える。ここまで言わなければ、誰も分かっちゃくれない、と藤井は知っているのだ。
現場では、そして現実には、こうするのは今がいまだ。ちょっと前でも、ちょっと後でもない。
たとえ、食べ物を盗んでも
たとえ、敵兵に救いを乞うてでも
とにかく生き延びる。
戦争が始まれば、障害のある人は逃げられないのが当事者の現実だ。障害のある人を抱えては、障害ががない人たちも共に逃げられない。水も電気もない状態では、薬はすぐに無くなってしまう。
戦争勝利に煽られても、煽りには薬の配給は無い。なけなしの食料はすぐに尽きる。一方、攻め入る軍隊は何も持っては来ない。80年前の日本敗戦直後、進駐軍の米軍兵士からチョコレートをもらっている如何にも貧しげな日本少年の写真は何回も見せられた。田舎に住む少年にそんな記憶は無いが、進駐軍の宿舎が近くにあり夜の町の話は何度も聞いた。そんな当方が悪ガキ達と進駐軍地境界で遊んでいて米兵から威嚇射撃を喰らったことをふと思い出す。前にも書いたことだが。
帝国の防衛だ、逆に祖国の防衛だなどと、ありもしないものとは関わっておれない。国軍万歳、民族戦線団結、戦争勝利、祖国永遠、故郷奪還云々と何処までも人心に深く刻み入ろうとする煽りは、単に盛りだくさんな集団ヒステリーを生み出す企みに過ぎない。毎日を生きているという単なる生活は、しかし一端戦争が起きれば障害者はたちどころに死んでしまうという生活となる。逃げる暇もないと心得るべきだ。どんなにあがこうと、短時日に(これがとても重要だが)逃げるところも頼れるところはありもしない。だから、生きるには、「ふじい」のこの言葉になる。「ふじい」はよく分かっている。
そんななか、例えは小さいが、日本医師会も早速に世界医師会へ10億円の寄付し、支援行動を加速させている。私の会費も幾分ながら、どこかに行って役に立つらしい。だが、少なくも、戦争プロパガンダとなるよりない大手一本では、末端(もちろん障害がある人)まで行きつかない。別の例では大手資本が、最初から煽りに巻き込まれないように閉じた戦略を選択している。ロシアは重要な市場ではないらしく、商人らしくもなく、さっさとロシアから撤退している。視線をロシアに変えると、悪魔呼ばわりとなったロシアの女性達は生理用品も手に入らなくなっているだろう。商売人って、江戸風にはもう少し頭良くなかったっけ、と思う。いつでも悪さだけなら一筋縄ではないしたたかな商人すら、もはや遺物となったらしい。
再度、寂聴の登場。2021年3月10日。
戦争をすると、子供も大人も、男も女も、たくさんの人の命が奪われます。私達は、戦争には、絶対に反対しなければなりません。
寂聴のお言葉はベーテルの外来掲示板にずっと貼ってあります。
(2015/09/04 朝日新聞)
いい戦争はない
戦争はすべて人殺し
この言葉は朝鮮半島、中国大陸、東南アジアに侵攻した我が日本軍の戦争を言っている。戦禍の中生き延びた寂聴は、「戦争をするな」と言うために生かされたのではないか、とも言い及んでいる。
だから、あなたの立場はと問われれば、非戦なのです。敗戦で日本は総国民、非戦を貫いたのです。美事な変身だったはずです。
障害のある人は、幸せや不幸せとは関係なく、ただ穏やかに生きていきたいのです。願わくは、いやあ、世の中住みやすくなってきたねと言えるならば最高なのだ。藤井克徳もそう言っているように思う。
(Drソガ)