ベーテルブログ この一言ありがとう1/2022(9) 人間は、自分の身をもって体験して初めて、その悲しみも苦しみもわかるようになるのです (瀬戸内寂聴.日めくり暦、2020年3月11日)

2022/03/07

ベーテルブログ

この一言ありがとう12022(9)

 

人間は、自分の身をもって体験して初めて、その悲しみも苦しみもわかるようになるのです (瀬戸内寂聴.日めくり暦、2020311日)

 

3.112011-BETHEL-2022

てんかん市民の誓い-こづみ郁子コーラスライン

 

 ベーテルは2011311日のいわゆる東日本大震災の追悼式を毎年開催し、震災で直接亡くなられた方々、また、いわゆる震災関連死の方々の無念の死を弔ってきた。いつのまにか311って何年だったっけなどと忘れ去られようから、「3.112011」と標記した。また、私どもの式なので、「てんかん市民の誓い」を添えた。

 大地震・大津波の災害はその甚大さから、いわゆる復興には長年を要したので、時経るに従い、直接の被災者のみが、これは被災地や関連地域で直接にまたは間接に被害者となった方々を意味するが、言葉としては、本当の被災者像を描き出してくれた。被災はそれこそ多種多様で、多彩である。加えて、被災者の実像は、複雑ながら時と共にうつろう。未だに遺体が不明の方とていらっしゃる。年老いている場合はお亡くなりになられている。なおさら殊更のものとなった被災者個々人のその後の11年間の生活史は、復興の名で美しく飾られたものも多く、無理強いしての成功物語としてすら語られてきた。一方、本当の被災者の真実は不足ないほどの大量の記録媒体に拾い集められもしていて、怨念物もあれば、悲しみにうち沈むか、苔むすものもある。幾多の、幾層もの悲しみと苦しみ、諦めが悶え、また苔むしてもいる。

私どもが3.11その後から感じ取ったものは、復興ではない。数年も要せず、直接の被災地、直接の被災者だけが本当の関係者なのだという、余りに当たり前の事実であった。適切な言葉に行き当たらないが、本当の被災地、本当の被災者という人々がいるんです。この方々は自ら表に出てきたり、言葉巧みに語り始めることは決してしないが、今回の寂聴流のこの説法は、この真実を逆に凝縮した表現となっている。

もちろん、(寂聴の)何の変哲もない表現にからめあげてしまうが、人の心、世の心、本当の被災を知っている心は、こんな説法一つで十分だ。寂聴には、極々当たり前のことをあらためて、しっかり仰ってくださってありがとう、と言いたい。本当とは、誰も言う必要がない「本当」。

これがまた寂聴のとめどない良いところだが、何を仰りたいのか分かりかねる言葉を連ねるくせだ。「目の前の不運にも絶望することはありません。流れに身をまかせていれば、運は開けてきます。」とか、「悲しい別れは必ずきます。残された人は、思い出と共に切に生きてください。」とかまで仰り、説話を突然に定まった運命としての人生論に変えてしまう。曰く、「天災という理不尽な出来事に襲われます。それは防ぎようのないものです。」から、「人類とは転んでも立ち上がる、そういう強いエネルギーを持った生き物です。」と無理くり締めくくったりもする。

 3.112011は、大地震・大津波の大天災に加えて、フクシマという取り返しがつかない大人災となった。大地震・大津波の大天災のおかげで、誰もフクシマを大人災とは呼ばない。これは明らかに「忖度」だ。忖度は個人の利害を守る気持ちが立ち振る舞いになる習性を言うが、決してそうではない。忖度は純粋な政治風土であり、不治の病で治らないし、治せない。フクシマは宮崎駿風には忖度が引き連れてきた「タタリ神」だ。大天災の後始末としての甚大な被害を被った被災地の復興は、それが本来の仕事の行政の無理やりの再建の姿だ。その再建が礎となれば、そこに留まる方々が力強く再興していくし、加えて全く新たな出発が暗示以上となるかもしれない新展開なので、これからも素晴らしく輝いていくだろう。ながら、この仮姿は、しかし憂に満ち過ぎている面影ではなく、完全な変態なので、連綿とした昔の連続線は途絶えている。だから、寂聴のこの言葉通りの原点をお持ちの方々と通ずる方々の場合ならば、使いたくない言葉だが、頑張ってねを言える。

一方、その憂いを感ずるのは東北だから、また被災地だから、だろうか。日本中、いたる所で大災害が発生している。3.11ほどではない、のだろうか。程度問題でないのならば、殊更に3.11が人生問題の私たちは何者なのだろうか。3.11で私たちは日本(この言葉以上のものを探している)への不安をかき立てられたのだが。

大人災フクシマは様を異にする。メルトダウンしたフクシマは周辺地域を巻き込みながら、立地町村が大変なことになった。この事態には、このブログでも「無念を想う」なる副題をつけて、ゲンパツ問題に近づこうとしてきた。このブログ作業は、新型コロナウイルスCOVID-19感染災禍という不運から、たった一個病棟しかないてんかん病棟を守り抜くため一時停止となっている。そんな事情とは関係なく、この間、フクシマ汚染水(注:当方は処理水という造語は使わない)の海洋投棄が決定して、粛々と政治のお祭りが進んでいる。ゲンパツど素人(お雇い専門家集団ーつまり食い扶持を得ているーから見れば)ながら、この事態からも結論を得た。原発政策がある限り、フクシマ問題は単なる粛々とした政治のお祭りであるにすぎない。コメントするのは後日となるが、2月20日、河北新報がすっぱ抜きの素晴らしい記事を発表した。処理水の海洋投棄が全く無害であることを喧伝するために、復興庁は小中学校宛にビラをばら撒いたというのだ。新聞紙面が伝える話題、一つ一つで述べる方がよいが、そのビラには「誤った情報に惑わされないために。誤った情報を広めて、苦しむ人を出さないために」とご丁寧な副題まで付いている。単に、勢い込む官僚の一人が、(何のため?)栄進目指して国政に忠誠を尽くしただけなのだろうが、「日本の最高級」官僚にしては手続きが粗すぎた。学校宛に直接送ったらしい。学校長宛かどうかは分からない。この時代だから、加勢を得て喜び勇む校長とておろうから、早速に配られたやも。フクシマを語る者は「誤った情報を出している」つまらない容疑者に仕立て上げる、素晴らしい奇手となり得る。まさに世情操作だ。管轄大臣はこのビラを回収するつもりは全くない。だから、この高級官僚は危険を冒してまでもやってくれた。さぞやご出世なさるだろう。この名を、東北人なるもの、フクシマ人なるものが確かにいるので、彼らなら忘れまい。

さてさて更にご丁寧に、フクシマがフランスや韓国の原発処理水よりもはるかに汚染されていないという、いわゆるご注釈(通常、証拠データは出しましたよの類で、小さく載せるもので、この範例を踏襲しているのがかわゆいが)まで付けている。この種の注釈流用は外交問題になりかねないのでは。無防備すぎるので注意したがよいが、官庁の中が果てしなく緩んでいるとできる。対照原発はフクシマを超えるゲンパツだ。なお、数字だけではカシワザキが世界一ですよ。カシワザキの恐ろしさなんて、私たちは誰も知らない。

 ゲンパツ問題は3.11を直前にして、奇しくもロシアのウクライナ侵攻の、いわゆる戦争で、今日はその11日めになるが、チェルブイリとサポロビエ原子力発電所2カ所が占拠された。少々の原発事情を勉強している当方にもこの事態が如何に危険なのか、今にでも明日にでも差し迫った危機となることがわかる。

その一方で、平和や反戦に程遠い原発推進派がそれ見たことかと、「平和」を名乗りながら好戦を唱える良い口実ができたと、ロシアへの戦争を煽り始めている。そして、なし崩しのゲンパツ再稼働へ雪崩こもう。この国にこの流れを止める風土や民心は期待できない。

ロシアの意志がどこにあろうと、原発はありもしない世界の軍事的安定を前提にした無前提愚策なので、極めて危険だ。これは地球の反対側で起きている他人事ではない。死の灰はすぐに地球をめぐり、日本にも降りてくる。その時、日本中、どの地域が危なく、あのあたりならば安心などというニュースに一喜一憂する的外れな状態になっておろう。

 

 寂聴曰く、2021310日。

戦争をすると、子供も大人も、男も女も、たくさんの人の命が奪われます。私達は、戦争には、絶対に反対しなければなりません。

 

 さてはて、我らてんかん市民は3.11に、この場合被災地ベーテルは、何を誓うのか。難しいことは何もない。ウクライナでてんかんの患児者が既に亡くなっているだろう。薬も事欠いている。強い発作のためにレンガ壁に頭を打ち付けている倒れてもおろう。砲弾に当たって瀕死ではない。思わず、かわいそう、と叫ぶ。

ジェネリック製薬会社の不祥事によって、何も起きてはいないはずの素晴らしい国、日本で、大切な抗てんかん薬が底を尽いた。例えば比較的に低分子化合物のヴァルプロ酸ですら入手困難だ。平和ボケした日本の厚生省なるものは小林化工の不祥事を罰しただけで、その後に発生する薬剤の市場混乱どころか、薬剤提供の市場枯渇すら見通せない。ウクライナのてんかん事情の比ではない。

 てんかん市民の誓い、は明確だ。

同じてんかん市民がと共に助け合う社会を。抗てんかん薬の市場安定のための操作能力すらない厚生省に対して、どう行動するか。極めつけは、たとえば、どうやってウクライナの子供たちに薬を送るか。こんなそんなを真剣に考え、具体化する

(立場表明:反戦。寂聴に同じ。そして非戦。Drソガ)