2021/09/01
今週のこの記事一つ202109―01(26)
NoMoreFukushima
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿26
① 福島の再生へ 活力呼び込む
−移住に最大200万円支援−
−政府 12市町村対象、企業も補助−
公明新聞. 2021年8月31日発行.巻頭.
② 20年代避難解除 政府決定
帰還困難区域の「復興拠点外」
避難住民、いらだちと疑念
「全域除染を」「対応が遅い」
被災地首長 一定の評価
「前進」「丁寧な調整を」
河北新報.2021年9月1日.巻頭と3面.
③ ヒトが起こす大絶滅
根拠なき「世界は無限」
長谷川眞理子.時代の風.毎日新聞、第3面.2021年8月29日.
たとえば、こんな風につないでみる。
8月24日、フクシマ原発メルトダウンならびに汚染水海洋投棄に関する計画概要が提示された。フクシマや隣県の、特に水産業に携わる方々の反応などを即、拾っておきたがったが後回しになっている。一方、盆前の8月11日に富岡町の宮本皓一前町長の記事を残せたことは良かった。
昨日、公明新聞を飾ったのがこの記事だ。関係者は知っていたであろうが、記事の最後にこうある。「ふくしま12市町村移住支援センター」が7月1日に富岡町内に開設された、と。当方、8月5日に退任された宮本前町長を、そうなのね、富岡が玄関になるのねと想う。
さて、本日、河北新報の一面を、帰還困難区域の「復興拠点外」を除染し、2,020年代、つまり2030年までに避難指示を解除する方針を固めた、と。大変結構な話だ。当方も明日はない命だから、記事中にある65歳の男性の言い分がよく分かる。2020年代という曖昧な時間軸に「高齢者が死ぬのを待っているか」、と。
帰りたい人が、個人事情が寛し帰れるようになったとき、今はなき古里の風景から消えて見えなくなった無数の黒点の一つが再び戻る。しかし全部ではなく、まだまだ穴だらけだし、戻った人も浦島太郎だ。計画が進もうが進まずとも人口動態学的論文は数多出よう。一方、述べた如く、帰還を希望できない人々とは関係がない、不自然な動態が、つまり生物学的ではない経過が事細かに拾われよう。メルトダウンがなければ、全てが自然だったのが。
公明新聞はこういう。「移住」。それには最適なものとそうでないものとがあろう。それは8月11日に既に述べた。当方は、たとえばヨーロッパの田舎町が好きだ。私たちよりはるかに残っているし、残そうとしている。これが都市計画だ。一方、当方には、帰るべき田舎はもはやない。田舎には、唐突には、ドジョウもいた。フナも、メダカも、タニシもいた。ナマズだっていた。誰も食べなかったカラスガイは小川や水田の用水路の底を埋め尽くしていた。この数十年以上、私たちは、好き好んで、共生生物を化学的に抹殺し続け、絶滅させた。
フクシマはたまたま国の原発政策の犠牲になったにすぎない。私どもニッポンは、既に相当のものを破壊し続けて、二度と取り戻せないほどにサトやムラを壊してきた。とても大事なことは、大事な物を無価値なもの、愛してやまなかった目の前の風景を金にならない物とみなして壊し続けてきたことだ。しかも、徹底的に。
フクシマはニホンそのものだ。食い扶持求めた豊漁も豊作、つまり漁業者や農業従事者にとっては人生そのものだ。だが、風評被害とその展開から、目下は海洋放出政策の闇雲な強行が甚大な影響を与えるであろうから、今は全くのびくびくものだ。私たち皆が何十年も同じ口を揃え続けて、自ら招き入れてきたと言うよりない。ゲンパツを止めることができなかったのだから、仕方がない。
この二つの記事の2―3日前、総合研究大学院大長谷川眞理子学長の、何と言うことはない記事を読んでいた。史観や人生観は、どういう媒体であれ、しっかりと文章化されて残っていた方が良いので感謝する。医者の当方が書き記しておく内容の文章ではないから。そんなわけで、当方には当方の原風景の一つとなるあの強靱な、しかし今は出逢えないアメリカザリガニが思い浮かんでくるのだ。郷愁はそれぞれに異なる。
ゲンパツ推進政策はただ日程を埋めていくだけの作業をひたすらこなしていく。もはや止められないのだが、国民一人一人にとってはこれからもはらいつづけなければならない税金となり、計算もできない凄まじい金額になる。
(Drソガ)