2021/08/11
今週のこの記事一つ:番外20―202108-01(19)
NoMoreFukushima
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿23
<福島・富岡町長−宮本皓一さんに聞く>
全域除染、避難解除望む
−復興へ町村民の力必要−
河北新報. 聞き手岩崎かおり.2021年8月11日発行.第3面
本日の河北新報に、福島県富岡町の宮本皓一、前町長(8月5日ご退任)のお元気そうなお写真が載った。2013年からゲンパツ富岡の町長を務めた宮本皓一については、一つに非常な環境、途轍もないご多忙のなか、「主題てんかんのための夕べの集いー2013」のため、仙台勝山館の会場までお越し賜り、ゲンパツ富岡町のお話しをお伺いした。いまとなればもはや代え難く有り難い貴重なご講演を賜ったことになる。また、今週のこの記事一つ:番外2021―12(2021年5月14日付け)に、「夜の森」や小出裕章などを引き合って、紹介させていただいた。新町長に後を託し、ご勇退だ。本当にホントにお疲れさま.....なのだがな、この言葉、ここでもやはり、いかにも虚しすぎる。
さて、事がフクシマ原発で、人が宮本町長ならばなので、この記事を何度もナンドも読ませていただいた。読めば読むほど、名文となってくる。全く無駄がない。そして、充分に宮本の全てを伝えたと感ずる。こんな経験はほとんどない。宮本に触れるならば、何度も読めと心が命じてくる、たかだか新聞記事なのだが。なお、宮本町長を紹介した記事であって、ご本人の筆ではない。書き手は聞き手、岩崎かおりだ。新聞記者というのは大した人たちだ。読めば読むほど、宮本町長がそのまま喋っている語りとして聞こえてくる。全住民避難の富岡のことだから、この短い記事に町長職8年の艱難辛苦の一刻一秒の全てを凝縮することはできない。であれ、当方なりに宮本が分かるような気がする。町長は町政執権者なのだが政治家なので、恨みも辛みも、嫉みも入れず、攻めも、他責も自責もなく、誇らしげな自己顕示もなければ無念も語らず、また卑下もなく淡々と語る。立派な構成だ。たかだか何字の文章なのだでこそ、宮本をこれだけしっかり伝えることができる。
記事にあるが、富岡町の現在の人口は1744人。昔からそうならばなら、だが、突然に限界集落どころか無人の町と化した様相を、だれも咄嗟に実像化することはできない。実際にあったし、まして10年を経てもあまたの帰還困難区域があり、実像はおそらく無人の富岡とさほど変わらないのではと心配する。富岡が、双葉郡8町村のなかで、とりわけたとえば大熊、双葉、浪江との実像対比ではどう評価されているのか、研究に、あるいはマニアとして時間が割けるのでなければ、10年経っても、実の町民ではない我々、余人あまた絶対多数には伝わってこない。行政は実際には相当のことをしでかしているが、彼らの仕事はやってますよの単なるアリバイであって、余人にが知るのは無理な仕様だ。つい先日のオナガワ関連の情報では、宮城県ゲンパツ対策課はSNS上で行政情報を垂れ流すという。どなたに向けてなのかは知らないが、その手は期待しているものには、探してもさがしてもみつかるものじゃない、つまらない行政宣伝なのだろうが、折角なので期待しよう。ついででお伺いしたいが、じゃあ、そのへんは、今まで何をなさっていらっしゃったの。まさか、医療カルテと同じく、5年で終わりと廃棄しているわけではないでしょうね。オランダに留学中に、1882年以来のカルテを、また1947年以来の脳波記録をマイクロフィルムに保存するため、専任スタッフを雇っていたことを知る当方には、あり得ない「官僚」専横ですよ。
それまではもともと町民であったはずの人々が、順調に戻ってくる道筋、構想の幾つにいかほどの現実具体性があるかが知られたい。2011年に産まれた赤児も既に10歳。まだ形をなすことは少ないが、無意識世界では最も強い自我が形成される年齢だ。15年経てば、15歳。心はほぼ決まっている。20年経てば20歳。一人前だ。これは生物学の事実であって、年齢人生・哲学の解釈ではない。おし黙っている青年の心は、何も誰も、もはや動かせない。
そして、あるいは全く新しい新天地となる構想はいくつも描かれていて素晴らしい。3.112011以後、高速道の至る所に「ガンバレ、ニッポン」の垂れ幕、そして特に目立ったのがトラックの背面に張られたステッカーの氾濫だ。道行く者にこれ以上何をガンバレというのか意味不明で、目障りだった。随分の長命であったが、何年経っても残された場合もあって、正直に捨て所に困っているのだろうと感じた。言いたいのは、「ガンバレ、フクシマ」ならばまだまだ続くはず。なのだが、ミヤギ、ヤマガタではフクシマは見たことがないのは、当方が出歩かないからか。
宮本町長には大変失礼となろう。最後は放言に過ぎないコメントになる。ゲンパツの直接被害の地域に、そして直接の被災者に、その地域未来を描くことができるほどの、さほどの頭脳は、この日本にはありえないと思うが、如何に。ご苦労されたでしょう。そんなすごい頭脳が何処にある、いる。いるって、どこに、誰よ。日本にいたら、それはすごすぎる、など。
いつの日にか、いや実は凄いことになったのが富岡発なんだよと後世が評価することになる宮本プロジェクトが実際には産まれていると、感ずる。ただそれは生物学的にはそれはもはや別の異界のこととして取り扱われるし、人口動態学的には興味深い研究報告となり、富岡がその場であったとなろう。そんな風な歴史的実例を学べるのは、この日本にも国替えや開拓団などのようになかったわけでなかろうが、アメリカの歴史の方が紐解きやすかろう、かな。
お写真では、町長は変わらず明るい。新聞社は凄腕のカメラマンを擁している。この笑顔がよい。町長宮本の世界は果たせぬ夢の世界だろうから、無用な心配は要らないだろう。とはいえ、私たちの世界には、昔、引っ越し鬱病、というのがあった。ゲンパツ富岡は彼を退陣後うつ病にもしないし、選びたくはない用語だが、富岡再興の鬼神衰える、は用意していないはずだ。これからは、どうかお心のままご自由にご発表なさっていただければと希っています。人生は決して長くはない。いまからをお語りくだされば、私たちは追いていける。
(Drソガ)