2021/05/11
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿18
今週のこの記事一つ:番外2021-12(12)
① 宮本富岡町長引退へ
復興に道筋 高齢理由
河北新報.2021年4月28日.
② 富岡のバラ 咲かす笑顔
「町民の心癒やしたい」
河北新報.2021年4月28日.
③ 「夜ノ森哀歌」の前に立つ小出裕章さん
「原子力の夢」に挫折
―異端者による 一人の闘い−
毎日新聞. S ストーリー、第4面、(第1面).2021年5月2日.
河北新報の記事が目を留めよと命ずる。フクシマで全町避難した富岡町の宮本皓一町長が引退なさるとのこと。私どもとのご縁では、主題夕べの集い2013にご登壇賜ったことがあり、そのご苦労の一端を聞きかじることができた方だ。私どもには富岡のこの10年の歩みの具体的事実を拾い集める力はないので、単純にご紹介となる。機会があれば富岡、大熊の被災との闘いを紹介できることもあろう。
当方の場合、岩手の大槌町などの名が新聞に載れば、滅多に飛ばしはしない。被災直後の大槌をたまたま訪れることができたからだ。いつもの風景でったかも知れぬが、鮭の死骸が折り重なっていた。同じく、富岡の名は近い。富岡の復興の記事は宮城県でも一つや二つではなかった。だから、今回も同日の紙面にも富岡の「夜の森ローズガーデン」の記事が目に入ってくる。こちらはカラー刷りで、相応の紙面待遇を得ている。
そんな感慨の時に、5月2日に「夜の森」が目に入ってきた。そのままなぞる。「もやい展」展示された作品「夜ノ森哀歌」の前に立つ小出裕章さん。桜の名所として知られる福島県富岡町の夜の森を、画家・金原寿浩さんが描いた、とある。ゲンパツ村から蛇蝎の如く嫌われているあの小出裕章が毎日新聞のシリーズ記事、Sストーリーに登場している。何と、第1面に続き、第4面全1面を占める大型記事の主役だ。いかにも、コロナ時代の新しい表現で飾られていて、原子力廃絶「自粛せぬ」、またー安全神話エビデンスで斬るー、そしてあげく、異端者による1人の戦いなるラベリング、と記事は勢いよく筆が進んでいる。本稿は信州松本で道半ばで仙人への道を修行する小出の記事の紹介ではなく、小出はこの4月7日に江戸川区で開かれた15人のアーティスト達によるゲンパツを可視化する「舫い」展に参席したが、富岡町の夜の森の桜の絵(夜ノ森哀歌)の前に立っていることの無関係引用だ。
小出のわすれな草の言葉も見つけた。ゲンパツ事故時、4児を抱えて西日本に避難した写真家の田村玲於奈さんに、「心からごめんなさい、あんなものを生み出してしまって。子どもたちに謝りたい」と話したという。汚染水海洋放出でフクシマで漁師を目指す若者達にも謝り続けるのだろう。彼に責任は全くない。ゲンパツは国策として動き始めて以来、最終的には転落軌跡の自己破壊運動をしているだけなのだが。
宮本皓一富岡町長、いずれ、またお会いしたいですね。力になれなかった。 (Drソガ)