· 

今週のこの1冊202104−02(19) フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿15

2021/04/11
今週のこの12021040219

 

フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿15

 

科学不信の時代を問う

−フクシマ原発の災害後の科学と社会−

 

島薗進、後藤弘子、杉田敦編

合同出版、2016520日発行、東京.2500

 

3.1120112021ベーテルとして、私どもも2011年から10年を過ぎた311日の第11回目の集まりを終えた。集いは「てんかん市民の誓い」という日本語のタイトルを掲げている。そのもう一つの意味は、フクシマ逃避行中に亡くなられた患者さん方の無念を偲び、二度とゲンパツの被災を繰り返さないという意思表示だ。彼らは独力で逃げる方途を持たない方々だったから、という絶対的な意味合いで、いわゆる復興の美しごととは全く不関だ。第二の表題をNo More FUKUSHIMAとした。

この記事一つに一昨日に取り上げたが、あろうことか、COVID-19第四波のさなか、明後日413日に、内閣はフクシマ処理水を海洋放出することを閣議決定する。全漁連会長と懇談したので、国民へは説明したこととする。本来、原子炉に関する汚染水は処理水ではない。立派な汚染水だ。この種の言葉のトリックも国民に説明するのに欠かせない。ブラックジャックの一コマでは、令和おじさんも「お帰りなさい、大統領閣下」となるはずだが、涙ぐましかったことも浜矩子が看破するように微笑ましくはなく既に独裁となっている。

ゲンパツ議論は「低線量被曝および多重防御システム」の科学的課題なのだが、原子力工学の臨床応用を前提にして(国法なる神の掟なる)具体的な基準の問題にすり替えて、あげく、原子力安全規制委員会なる国家機関の専権事項とした。この機関も奇怪な存在だ。委員会の下に原子力規制庁長官(庁官ではない)なるものまでいらっしゃる。ほとんどお遊びの行政の中に私どもは住まわされているらしい。六本木の瀟洒なビルに1074人もお暮らしだ。Wikipediaに年間予算440億円とあるが、この人数とビルの立派さからはとても間に合う額ではないと感ずる。いずれ、Regulation Authority(統治権力)なので江戸時代さながらのご紋も冠る。ふと、泥に埋まった被災地を案内役に背負ってもらって視察した長靴大臣の写真が思い出された。

COVID-19災禍で上京は難しいが新国立美術館に行く機会もないとも限らないので、ホリエモンや楽天で有名なヒルズ近くの「原子力規制委員会」ビルを探すだろう。

ゲンパツに関する一般書籍は凄まじい数となる。開業医の当方が手にすることができるものは極めて限られる。一方、ゲンパツの専門家になりたいと専ら研究するつもりもない。とはいえ、学術一般には事情に通じていたい。ゲンパツを課題にして含め社会のあり方学(政治によって強制的に変質・変形され、生物学を含め天文物理学まで関わる学術)と科学・科学技術、そして新しい産業との関係をひもとくための、あらためてのお勉強となろうの最初の書物がこれ、日本学術会議第一部[人文社会系]による「福島原発災害後の科学と社会のあり方を問う分科会」が、「科学と社会の関係を再構築する3年に及ぶ集団知的作業の結実」と名乗る報告書だ。3.112011から五年後のことだ。現内閣に代わった昨年、この日本学術会議問題は突然ニュースになった。COVID-19災禍なる国家一大事に関わらず内閣には暇があり、長年に亘って用意周到に準備した日本学術会議潰しの機が熟したとみたらしい。COVID-19対策よりも、忖度しない学者の生首刈りの方が優先課題となったと言おう。重要なことは官僚達が忖度しない学者の洗い出し(恰も領主の狩り遊び)に精を出していることだ。この10年、基礎科学研究費は相当に削減され続けている。日本人学者の研究論文数が世界に後れをとりはじめて久しい。基礎研究者こそが国のそれこそ有り難いご加護がなければ生きていけない。支給対象となる研究領域が限定されてくれば、研究課題設定も忖度しよう。もはや「学問の自由」なる幻想を抱くことすら許されない。

さて、本論は短い。久方ぶりに、「学」の世界を楽しめる。本書、というよりは、2014911日当時の日本学術会議のゲンパツへの学問的態度表明、つまり、「福島原発災害後の信頼喪失を踏まえて、科学と社会のよりよい関係に向けて」は、政府(日本の国と誇らしげに言えたらいいね)への「提言」書だ。つまり、国に学術観の変更を助言した。極めて残念だが、日本学術会議による提言の効力(行政法での位階)を当方は知らない。通常は「勧告」と思うが。

本書からあらためて想起される視点は通常無視されている。結論だけ知りたい方は、256261頁のシンポジウムの解説文「私たちは科学技術=学術に何を期待するか」に目通しあれ。

日本学術会議が「科学不信の時代を問う」で課題にしたのは、フクシマによって、社会(国民と同意ではない)が科学や科学技術の発展に不信を根深くしたのに対し、

・科学の自律性ないし中立性をめぐる議論

・科学の限界に関する議論

・科学的な論点をめぐる熟議の仕方に関する議論

の三つの観点から、社会の不信とのギャップの克服だ。

 原子力発電所の危険はフクシマ以前から既に十分知られていたことであり、政府とその附属機関(庁官と官僚組織、研究所など)はもちろん知っていたし、反原発運動は世の中に十分に具体的に警告し続けてきたし、また関心を寄せる一般市民も原発震災による破滅に関する日本語の書物にも恵まれていた。となれば、学者(科学者、学術者)は政府や禄食む学者に対してはもちろん、社会に対しても常に果たすべき(社会から責務として期待される)役割は明瞭なままだ。対政府への独自の提言、勧告活動も怠たれるものではないのは自明である。

 科学と社会というテーマであるが、科学者が担う役割を模式化させたもでるがあり、これを示した(図3:科学的検討の場の統合・自律モデル、本書114頁)。

 本書では狂牛病BSEがフクシマの科学を論考する題材に取り上げられている。COVID-19災禍も同じく政策をめぐる科学論を論ずる一大素材だ。             (Drソガ)

<資料>

合同出版社は

   科学技術の危機―再生のための対話

   原発災害とアカデミズムー福島大学・東大からの問いかけと行動.福島大学原発災害支援フォーラム[EGF]×東京大学原発災害支援フォーラム[TGF」.

などの関連書を発行している。

 

☆目次については、章節、大小の見出しがあると内容をより予測できるし、何より論拠に近づける。本書もそうしたかったが、COVID-19災禍関連で叶わなかったことをお断りする。

<目次>

はじめに 杉田 敦

第1部 原発災害への科学者の対応

  1 もっと前から学んでおくべきだったこと

     :3.11福島原発事故の後で(小林傳司:大阪大学

1. トランス・サイエンス状況

2. 3.11以前に語られていたこと

3. 3.11が突きつけた問題

       31.不確実性の扱い方

       32.「見逃し」あるいは「黙殺」の構造

4.専門家の役割

5.まとめに代えて

2 放射線健康影響をめぐる科学の信頼喪失

  −福島原発の初期被曝線量推計を中心に−(島薗進:上智大学)

1. 科学の信頼喪失

2. 放射線防護対策の混乱

3. 初期被曝線量が不明になったわけ

4. 科学が信頼を失ったのはなぜか?

3 大規模災害における

危機管理システム崩壊の教訓(吉岡斉:九州大学)

はじめに

1. デザスター・コミュニケーション

2. 福島原発事故における危機管理失敗の実際

3. 活用されなかったSPEEDI

4. 危機管理システム改革の課題

5. 福島事故における科学の失敗

おわりに

第2部 科学者の社会的責任

1 科学者コミュニティ−と科学者の社会的責任

1.    はじめに−テーマについて

2.    社会への応答主体としての科学者コミュニティー

3.    科学者の社会的責任のあり方

4.    科学者の社会的責任と市民の役割―まとめにかえて 

2 舩橋晴俊「「分立・従属モデル」から「統合・自律モデル」への転換のために」とその解説に代えて(寿楽浩太:東京電機大学)

 はじめに

 1.「取(り)組み態勢」への関心と「科学・学術」のあり方に対する自己言及

 2.「科学・学術」の再生:分立・従属モデル」から「統合」自律モデル」へ

 3. 舩橋論文から私たちが受けた示唆:

   科学・技術・社会についての諸研究を踏まえて

3 科学者/技術者の社会的責任(藤垣裕子:東京大学)

1.    科学者の社会的責任の時代区分

2.    責任の3つの相

3.    ユニークボイスをめぐって

4.    不確実性下の責任〜情報伝達装置と情報解釈装置の差異について

5.    不確実性下の科学者の責任と市民の「分断」

:主要価値理論をめぐって

第3部 公共空間における科学技術

  1 科学と社会―BSE問題についての科学者の役割(吉川泰弘:千葉大学)

 はじめに

1.    BSE問題以前の個人的経験

2.    BSEの経緯

3.    BSEの侵入と安全神話の崩壊

4.    食品安全委員会(FSC: Food Safety Commission

5.    プリオン専門調査会のリスク評価と明らかになった問題

おわりに

2 政策形成における科学者の役割(吉川弘之:科学技術振興機構)

1.    科学者の役割の変化

2.    科学者の助言

第4部 シンポジウム

  「科学者はフクシマから何を学ぶのか?―科学と社会の関係の見直し」

日本学術会議

第1部       福島原発災害後の科学と社会のあり方を問う分科会(第22期)

公開シンポジウム

科学者はフクシマから何を学ぶのか?―科学と社会の関係の見直しー

<プログラム>

開会挨拶:島薗進

講演1 もっと前から学んでおくべきことだったこと:小林傳司

講演2 科学と社会:BSEリスク評価から学んだこと:吉川泰弘

講演3 科学者コミュニティーと科学者の責任:広渡清吾

講演4 原子力安全規制ガバナンスの課題:城山英明

コメント 1:杉田敦

     2:鬼頭秀一

総合討論

閉会挨拶 後藤弘子

解説 私たちは科学=学術に何を期待するべきなのか(寿楽浩太)

   科学者にとっての問いかけから社会にとっての問いへ

   科学はリスクに関する公共的な問いにどこまで答えられるのか

   科学(者)の役割の再定義とアカデミーに期待されるもの

   残された問い:制度設計、コミュニケーション、そして・・・・

資料

 提言 科学と社会のよりよい関係に向けて