2021/04/08
今週のこの記事一つ202104−02(20)
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿13
河北新報. 2021年4月7日、第1面
福島事故10年
原発漂流 第7部:分断を超えて(中)-自覚-
政治の座標、民意とずれ
前回、オナガワ再稼働に関する地元誌河北新報の世論調査について、しつこく考えてみた。その2日後に、連載特集「原発漂流」の記事が載った。その記事には、3月26日に活動休止を宣言した、首相官邸前で毎週金曜に脱原発を訴えてきた市民団体による最後の集会の写真姿も添付されていた。
今回、この記事一つに取り上げたのは、5段目の記述だ。2011年福島県議会が県内全基廃炉を求める請願を採択していることを伝えている。その後どうなったかの詳細な経過は知らないが、これは今後とも重要な情報だ。
ゲンパツと新型コロナを対比させるのに、河北は「民意」で繋いだ。民意なる言葉が当方の感性にいかほど響くかについては必ずしも自覚はないが、この場合の民意までなら分かる。だから、宮城県議会の面々が国分町で「品のない客」として振る舞ったことを記事の導入とした気持ちは分からないわけではない。赤坂や銀座の事態は仙台でも起きているというだけの話だ。あちらは光り輝く中央、こちらは地方。由因は慢心によるものではなく、単に厚顔なのだ。破廉恥と言う言葉もあるが、いずれご当人達は自らがそうであるとは思っていない。病識がないという言葉も近いので治るのは難しい。
(Drソガ)