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今週のこの1冊202103−02(15) フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿7 「3.11」から10年  −特集:問われるメディアの役割と責任−

2021/03/08
今週のこの12021030215

 

フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿7

 

3.11」から10

 −特集:問われるメディアの役割と責任−

 

ジャーナリズム.20212月号(no.369. 2021210日発行. 113頁、朝日新聞出版社、東京. 741.

 

3月8日だ。3.112011から10めがあと3日と目前となった。10年目という大きな節目だと皆が言う。その意味合いは国家行政の復興構想計画の最終的な終焉を意味するもようだ。

この10年でほぼ90%復興したと岩手と宮城の自治体長達は評価している。ので、住民の方々もそうなんでしょうね。当ブログにあるはずの視点では、直接被災者とこの人々に直接関わる人たちに復興への満足度をお訊ねしたい。この視点はしかし、世論調査の域を超えるので非常に難しい方法論上の課題が待っていて、いかにも非現実的だ。被災者にとって、たとえば徒らな不満足感の表明は自らの10年に唾する趣きとなろう。あげくに、周りからは自助不足と嗤われる。

この両県に比べ、福島はフクシマがあるのでそうはならない。国に唾するのは非常に難しいので、やっていただいた分は素直に復興度を付ける。この種の調査ではっきりと福島県が分かれたのは、フクシマ被災県だから原発容認率が低いことだ。原発被災者がそのまま反原発、脱原発になるわけではないし、福島県全体が一等抜きんでてそうであるとは言えないが、民意としてはのちのち非常に重大となってくる数字と直感する。

今週のこの一冊は表題のごとし。大災害に直面して、マスコミの方々がその任務と役割遂行のご苦労の幾つかが紹介されている。その一つに、「最後の一人まで」と遺族を訪問し続ける記者達の辛い作業があった。固そうな体裁だが柔らかさに満ちているので、是非お目通しあれ。

さて、2011年の311日に私どもに起きたことは既に忘却の彼方にありそうだが、一つ一つ手繰ればどれも鮮明に思い出すことができる。

私たちは何と院内でお二人を失っている。お一方は救急隊が運んでくれた外来患者さんで、ひどい低体温だ。ひどく寒い日だった。電源が止まり高度機器はもちろん一般検査機器を動かすことすらできず、何とか稼働させての瞬く間の心電図・呼吸モニターの悪化に身の毛がよだった。転送を依頼した有力な病院も同じ状態。スタッフのご家族が病院にこそ必要だと運んでくれた工事用の自家発電で最低限の明かりと暖房を確保できたが、この方にはお役に立てなかった。もうお一方は窒息だった。スタッフがコンビニ用の食料品配送車が行き場を失っていたのに遭遇し、頼み込んで手に入れた美味しい食品を患者さんに配ろうとしていた。糖尿病の方がおられ、ナンの類いを無断で持って行かれた。運悪く、その方は一人部屋だった。気づかれた時には既に息絶えておられた。悔いだけが残り、スタッフ達の意気消沈は目に見えるほどであった。

ベーテルという建物は地震で倒壊せず津波にも飲み込まれなかったが、現場には訃報、さまざまな被災の情報が追い撃ちのように寄せ重なる。しばらくの間、陰に陽に関わる方々に関連する被災間接事象に侵されるが、特にフクシマが手ひどかった。

話題を変えるが、昔むかし、そのむかし、男の子達は、タッパという遊びを嫌いではなかった。タッパの一葉に、「死の灰」というのがあった。こども心に、この一枚も何の違和感もなく遊んだものだ。これはいわゆるビキニ環礁の原爆・水爆実験がモチーフだったとできる。ならば、これはもの凄いことだ。今で言えば、フクシマが男の子のタッパの一枚になっていた。

タッパも一商品だ。だから、簡単には商売だ。子ども遊びのカルタになぜ「死の灰」を入れ込むことができたかなどは、今の商売では考えられない。これが不思議でならない。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニなのだろう。当方がこの話題を追跡するために学者の時間がない臨床医に過ぎないことをとても残念に思うが、いずれの領域にも専門学者は必ずいるもので(この場合「こどもの遊びの歴史」)、この言い方が目にとまれば、親切にも教えてくれるかもしれない。とはいえ、これができるのは今にもこの世にサヨナラを言いたい超高齢者となろう。

3.1120112021、当方が直接関わる事例で特別に取り上げたいのに新築の家を失った方々の「二重ローン」がある。この種の災害課題はいくらでもあろう。その手の総説本に出会いたい。二重ローンでは非常に優秀なスタッフを失った。事業主として何かできたのではと今も非常な悔いとして残る。

二つ目はフクシマだ。どう強弁しようと、これはごまかせない。なのにオナガワが再稼働する。お願いだから、子、孫、末代に「死の灰」を残さないで21兆がこの時点でも80兆を超える額となってしまったフクシマに費やす税金のごくごく一部を、世界各国から頭脳と技術を呼び集めて、「代替」(原発を前提にした途轍もなく奇妙な行政用語だが)エネルギー創出学に傾注したればよかった。ヴェンチャーは底知れぬ力を有することがある。既に10年も経つのだから、成否ぐらいは出ていよう。既存の学問がいかに発展しようと、旧習の延長はそのままの意味合いでも世俗的利益はありあまるほど出るので、基幹産業が潰れるわけはない。            (Drソガ)

 

編集部から 

編集長・久保田正:あの日から10年、地元メディアの覚悟と使命感

Ⅰ 地元4紙編集局長座談会

 1)犠牲者忘れない、生きた証残す地元紙の使命―復興? 被災地の現実、目で見て知って

  河村公司(岩手日報社)、今野俊宏(河北新報社)、安斎泰始(福島民報社)、小野広司(福島民友社)

 2)「生きた証」記す地元紙の役割―無念の死たどり、重ねる遺族取材

  佐久間裕(福島民報社)

 

Ⅱ INTERVIEW 全南相馬市長・桜井勝延

 原発事故の災害と教訓から−魅力ある街へ「再興」目指す

 

Ⅲ 特集「3.11」から10

 1 津波常襲地にある地元紙の責務―いつまでも地域の声を聴き続ける

  鈴木英里(東海新報社代表取締役)

 2 「被災地を忘れない」とは何を忘れないことなのか

  菊池由貴子(大槌新聞発行人)

 3 会見では見えない「人間」を伝えるー声上げにくい今、できることを自問

  片山夏子(中日新聞・東京新聞)

 4 漫画に描く葛藤、罪悪感―それでも記憶に残す意味

  飛鳥あると(漫画家)

 5 <絆>から<孤立>へーてんでんこの倫理と使者への想い

  遠藤薫(京都大学法学部社会学教授)

 6 言葉を失った<サヴァルタン(言説的弱者)>―その声を掬い、つなぐ役割

  坂田邦子(東北大学情報科学研究科講師)

 7 復興構想会議に刻んだ抵抗の痕―「東北派」のマニフェスト

  赤坂憲雄(学習院大学文学部教授)

 8 悲しみと再生:宿命背負う人々―三陸を巡る「廻り神楽」から力

  遠藤 脇(映画監督・プロデューサー)

 9 止まった時間、流れる時間―被災したまちの取材を続けて

  石橋英昭(朝日新聞編集員)

10 グラフ特集:フクシマ無窮V10年は復興の序に過ぎない−膨大な喪失、ちっぽけな東電と国−

  渡辺幹夫(フォトジャーナリスト、東京写真記者協会事務局長)