2021/01/18
今週のこの一言ありがとう2/2021(3)
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う その⑤
「宮城の人はもうわすれちゃったのか」−女川原発作業員が見せた怒り−
三浦英之連載ルポ:帰れない村―福島・旧津島村の10年―. 2021年1月13日(水)07:02配信、news.yahoo.co.jp.
「ありがたい」というのは与えられたものだけではない。こちらがそう思っていた琴線と触れ合う場合も含む。私どもはすぐに忘れてしまう国民に違いないという熟成した直感がある。私どもは巧みにストレス回避を行う。なかったことにする能力、大事となってしまった大切な事件を無意識に閉じ込めてしまうことにチョー長けている。歴史的病理は深く、治らない。
オナガワ再稼働のニュースについても同じだ。「もう忘れたのね」。一人の現場作業員から聞き出せた本音をジャーナリスト三浦英之がルポルタージュとした。この報告には既に37件のいわゆるリツイートがある。ほとんどが三浦を責めている。三浦が、責める側が蛇蝎のごとく嫌っているはずの朝日新聞、の記者である、ことが先ず何よりも許せないようだ。その意味では想定内の反応だが、ジャーナリストも小説家も一々命がけだね。
驚いたのは、取材された作業員の方にも容赦なく悪口雑言を吐き捨てていることだ。無礼極まる。取材に応じて本音など言って、記事から本名が割れたら何されるか分からないね。国家というものは本当に怖ろしいものだが、手先かも知れぬ民の方が先ずはこわいのだ。
現世には大勢というのがある。このあり方に関わりかねない異感や疑問、異論も反論も一切、認めない。大勢派が議論を拒み討議を封ずる独得の振る舞いのさまざまを、識者が指摘して久しくなった。体制派は20年ほど前までは慎ましく振る舞っていたが、いまや応えもしないという本性を丸出しにしている。所属する世代群にも強く関係し、あからさまにもろだしする人格行動との遭遇も珍しくなくなった。ひどく見苦しいので、視線を逸らす。
さて、避難道だけに限っても、仮にオナガワに事あらば、鳴浜から通ずるあの細道でみなが逃げ切ることはできない。山上のコバルトラインに秘密を隠しているか。
オナガワは間違いなく忘れられた。 (Drソガ)