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今週のこの記事一つ2020−⑥ 危機感のない政治(が)、永遠に(続く) (なかむら・ふみのり:毎日新聞、2020年12月3日、中村文則の書斎のつぶやき=随時掲載)

危機感のない政治、永遠に続く

(なかむら・ふみのり:毎日新聞、2020123日、中村文則の書斎のつぶやき=随時掲載)

 

 123日の記事だが2020年の最後に選んだ。フリーター出身のため生い立ちまで詮索されるほど有名な、芥川賞、大江健三郎賞授賞の中村文則曰く、「小説家は、物語の整合性を常に求められる。整合性が破綻した物語を常に見せられるのはかなりストレスだ」と。8年も9年も続く強権政治に圧せられた者たちからみれば、この記事自体に知らなかった新しい内容はない。のに、なぜに、桐野夏代といい平野啓一郎といい、小説家達がこのように同じような舌鋒や尖唇を見せるのだろうか。

本物の小説家は世のありようにひどく過敏な自由人なのだ。彼らのお仕事が非常に大切な部分で侵され始めている。小説家にはこの社会は途轍もなく生きづらくなっていて、一語いちごを選び、一文いちぶんまとめるに強権政治、特にこれを忖度する者達の悪魔(この世の中)のささやきが聞こえるのではないだろうか。たかが己が食い扶持を得るに一語一文を成すに一々世の掟に右顧左眄していたのでは小説にならない。昔言葉に、権力を奪取するには隷属させる者達の言葉で語るほどのチカラが求められる、がある。ながら、「政治をやっている」この手の裏仕事は政治家にしかできない。小説領域ではそんなうさんくさい連中と関わることが命(取り)の場合もあろうが(これからの人となる自死の赤木俊夫さんも小説になろうが書く方も危うい)、「柔らかな」小説領域もある。柔らかとは、生まれたら社会で極めて少数の例外の人生だった子どもたちや人々が必ずいて、この稀少を自然体で描きたい視点と感性が原点だ。原点だけならばただの人で、作家は死角を含む視野の表現欲動を作品に止揚するチカラをもともと持っている。

はてさて、COVID-19災禍を通して、日本人総体がウィルス学に関わる基礎生物学までに及ぶ諸分野の存在を知り始めた。智恵がついてきた。世は支配できるし支配しつくしてもあきたらないと勝手に思い込んでいる現下の強権政府が初年度に打った手は、結果としては権力以外には何もない貧しすぎる正体を見せつけすぎた。さてはて、なかむら・ふみのりは言う。日本は東アジア最大、ダントツの感染国になった、と。この表現、初めてだ。自分が傲慢と気づくこともない(病識がないという)厚顔政権、GoToでたたり神第三波を連れ込んできた。終熄の見込みはない。GoTo発想は「物語そのものの否定」だから、なかむらにみな同感だ。特に、GoToとは無縁の「聖職者」看護師達は。

中村文則をご存じの方は、さすがのお方。ご存じない方も是非彼を読んでみて。                   (Drソガ)