2021/04/05
今週のこの1冊202104−01(18)
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿11
3.11震災は日本を変えたのか
リチャード・J・サミュエルズ.英治出版. 2016年3月11日.426頁、東京、2800円
3.112011−2021、つまり3.11は十年を過ぎた。本書は3.112011から5年目の3月11日に出版された。臨床医の当方にとって、夜中までの臨床生活ながら、この本は少なくも最後まで目を通せたもののうちの数少ない書物だ。証拠は付箋にある。40を超える。頁の上の縁の付箋は再読用に、ヨコの付箋は当方が見知らなかった視線や概念の把握に役立つ、つまり借用したいほど魅力的な何ものかの備忘箋としている。
膨大なページ数の書物だが、前書きで「三・一一が歴史的文脈において一つの区切り(1990−2009の牛名荒れた二○年から)となる句読点なのか、括弧にはさまれた挿入句にすぎないのかを判断する」のは時期尚早としている。3.11で満ちあふれた目の毒「がんばろう日本!」は、「復興」を呼びかけているのであって、「変化」を呼びかけてはいなかった。著者は、日本の「政治的制約が民主的組織をゆがめているか」を研究しているが、本書の初期の書名は「国民の再生?」としていたが、半年過ぎた時点で、調査執筆の仮説は「危機のレトリック」に更えていると告白している。だから、ブックカヴァーの宣伝文句もかなりつまらなく、「戦後最大の危機に政治はどう応えたのか」となり、「安全保障、エネルギー、地方自治・・・震災後の日本政治の深層に迫る」に過ぎない。三人の評者の広告書評を加えるが、前二者と最後者の間には、共通の視点はないと判断する。
① 「東日本大震災が人々の期待とは裏腹に劇的な変化をもたらさなかった理由を理解したい人にとって必読の書である」:ジェラルド・カーティス。
② 「震災後の日本の安全保障、エネルギー政策、地方行政見直しの取り組みについて一流の分析を加え、変化をめぐる驚くべき要素と抵抗をあらわにした」:マイケル・アマコスト。
③ 「災害から立ち直ろうとする日本の可能性を示しつつ、日本が抱える脆弱性を指摘し、何が必要かを明らかにする。これは3.11以後の日本のロードマッだ」:岡本行夫。
3.112011から10年の復興は防潮堤と祈念公園が象徴した以上はないが、著者は5年前に(震災後2年間の調査結果に基づき)、こう結論した。最後に残ったのはパラドックスの問題だ。三・一一は多くの政治家が望んだように「ゲーム・チェンジャー」にならず、日本の政体を構造的に変えることもなかった。通常の政治はさまざまな欠点を持ちながらも優勢であり、本書で検証した三つの政策領域では、より前向きに「変化を加速する」よりも「現状維持」が優先されたようだ。……・・・こうした初期の動きは日本の政治に長期的な変化をもたらすであろうか?・・・・・・・この時点で結論できるものは、三・一一の主たるナラティヴは、まだ完成していないということだけだ。
これが結論なのだが、10年経った2021年3月11日の現在、彼の仮説設定にあたる一文、「日本では全国的に高齢化と産業の空洞化が懸念されているが、三・一一が起こったことで、東北地方の高齢化と産業の空洞化は他の地方よりも一○年早まった。したがって、東北地方の復興をうまく行えれば、将来的な日本の再生に役立つ手掛かりが得られるはずだ」は、10年も過ぎて、途轍もない皮肉となってしまった。
日本では亡霊復古が発生し、三・一一後はすっかり様変わりした。もともと震災は被災地だけの事態に過ぎないことを教えた。当の被災地ですら、ゲンパツの再稼働が早々と決定されてしまった。セイジヤとしてクールでないですね。論功を焦っていますよ。
(Drソガ)
<目次>
序文
第1章 過去の状況と三・一一
三・一一のコスト
危機管理
三・一一をめぐる駆け引き
第2章 危機を無駄にしてはならない
変化と三・一一のナラティヴ
拡大された危機のレトリック
第3章
災害の歴史的・比較的考察
日本の大災害の歴史
海外の大災害と比較
災害外交
結論
第4章 安全保障をめぐり競合するナラティヴ
国家安全保障と危機のレトリック
三・一一の教訓
何が変わり、何が変わらないのか
結論
第5章 エネルギー政策の議論
過去の状況
エネルギー政策変更のナラティヴ
新たな参入者
結論
第6章 地方自治体の再活用
窓は開かれた
地方自治体における変化のナラティヴ
結論―学んだ教訓とつかんだ機会
結論
原注
参考文献